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予備校の歴史



受験生が予備校へ通うことが珍しくない昨今では、「進学したい」、「再チャレンジしたい」といった強い思いがあるとき、予備校生として受験準備に没頭することができます。「進学は何から勉強すれば良いのか分からない」、「効率良く受験準備をしたい」といった問題を解決するひとつの方法として各種の予備校へ通う人も多くなっています。

こうした予備校はいつからあるのでしょうか。また、どのように変遷して今のスタイルになっているのでしょうか。予備校の歴史をひも解いてみましょう。

明治時代から予備校はあった!

明治時代から予備校はあった!

東京大学が創設されたのが1868年(明治元年)。この頃から東京大学をはじめ高等教育機関へ進学するのに英語が重視されるようになります。この英語科目に対応するために誕生したのが予備校でした。日本で最も古い予備校とも言えるのは、1872年(明治5年)設立の共立学校(現在は廃校)や1885年(明治18年)設立の東京英語学校でしょう。当時は他にも受験の準備をするための教育機関がいくつか存在していたと言われています。

研数学館の誕生

1894年(明治27年)に高等学校令が制定され、高校進学を願う人が増えると、現代の進学予備校と同じように1年間のカリキュラムで学習を行なえる予備校が続々と誕生します。立地はほとんどが東京です。その皮切りは1888年(明治21年)設立の「国民英学会」。実質的に日本最古の予備校と呼ばれる「研数学館」は、1897年(明治30年)に数学専門の予備校としてスタートしました。

大正~昭和初期に予備校が激増

大学と言えば帝国大学のみであった時代を経て、1918年(大正7年)に「大学令」が公布されると私立専門学校も大学へと昇格します。同年に「高等学校令」が公布され、高校や大学が一気に増えます。その背景から予備校は全国各地に誕生しました。入試内容も変革があり、旧来型の予備校は人気を得られずに廃校する動きも相次ぎました。

3大予備校の歴史もこのころから

1918年(大正7年)には東京都で「東京高等受験講習会」(現:駿台予備学校)が、1933年(昭和8年)に愛知県に河合英学塾(現:河合塾)が誕生しています。この2校と1957年(昭和32年)設立の「代々木ゼミナール」を合わせて3大予備校と呼ぶことがあります。

戦後から受験競争

第二次世界大戦中も多くの予備校は存続しました。文部科学省による調査結果によると、1943年(昭和18年)時点で認可されていた予備校は60校、無認可は98校です。1960年(昭和35年)代から受験競争が激化すると、次第に高校卒業後にも大学準備に励む「浪人」、1年間浪人して合格する「一浪」などの言葉が登場する程、予備校も盛況になり、数も増えていきます。

しかし、現役合格志向の高まりや少子化を背景に、1990年(平成2年)代初期をピークに予備校の数は減少。国の認可を受けている予備校は1990年(平成2年)時点で208校、2000年(平成12年)には132校、2009年には81校と減り続けています。浪人生が中心だった予備校は、今では現役高校生や中学生、中学生を対象としたコースを増設するなど変革を迫られる学校も多いようです。

また、昭和後期から平成期は進学予備校のみならず、様々な予備校が登場した点も大きな変化と言えるでしょう。